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2011年6月

もう一つの震災復興(其の弐)

前回に引き続き、震災ボランティア二日目の様子をリポートします。

ちなみに初日の様子はコチラ

女川の様子も見に行ってきました。

では、続きから。

6/12(日)
4:00 起床。
個々に装備の撤収、パッキング。
昨夜の作り起きのおにぎりに、味噌汁。残りのカレーも戴く。

5:30 出立。
7:00 昨日と同じ現場に入る。
引き続き表土の掻き出しが続く。さすがに中腰がつらい。
僧帽筋から大臀筋にかけて、鉄板を入れたように硬い。

負けじとスコップを振るい続けるも、液状化により地表に噴出した砂が作業を拒む。

Suna                       砂の下にも白く変色した層が見られる。

入れ替わり立ち代り、ひっきりなしに一輪車が掻いた土を外へ搬出していく。

二日目は生憎(?)の晴天。日が昇るに連れ、ハウス内の温度は順調に上昇。
汗だくになっての作業。休憩の差し入れの飲み物が心底ありがたい。

11:00 作業完了。一面に掘り起こされた赤土が成果を物語る。

After

まだ時間があるので、隣の手付かずのビニールハウスへも手を入れることに。
同じく漂流物の撤去に始まり、できたのは草むしりを終えて表土が見えるところまで。

次回くる団体への橋渡しとして、作業終了。

13:00 帰路へ

今回のボランティアは生産農家なので、復興の補助は受けられないそうです。
ですので、地元労山のJA職員の方が全国の山の会へ支援を募り、希望者の世話人をされております。

住宅被害がフォーカスされる中で、農林水産業の復興が地元経済の下支えであることも忘れてはなりません。

道すがら、仮設住宅の建設地も通り過ぎました。
急ピッチで進む工事に頼もしさを感じる反面、こんな何もl無いところに作って、車も無しに生活できるのか疑問を抱きました。

石巻・女川共に、被害の特に大きかった地域では、復興後の街づくりまでもがある程度決まらないうちは、手のつけようが無いのも実情なのではないかと思いました。

壊滅後の青写真は、安全性も加味されまったっく違うものになるかも知れません。
地価も、リスクを考慮した査定の導入も考えられるでしょう。

勿論、優先順位からすれば、進めやすい宅地からかかって能率を上げる必要もあるでしょう。

普段の生活を取り戻しつつある日常を、否定する光景。
一日でも早く、ありふれた生活を取り戻されることを願わずにはいられません。

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もう一つの震災復興(其の壱)

今回は番外編。
週末に行いました、被災地ボランティアのリポートです。

私が参加したのは、職場の山岳会に所属している方の紹介です。
「大田区山の会」の皆さんに混ぜていただき、貴重な体験をすることができました。

活動の場は、宮城県石巻市渡波地区。
被害状況は見て取れませんでしたが、床上浸水は免れないであろうと思われました。
実際作業に当たったのは、農地の整備です。
ビニールハウス内の漂流物撤去、被害作物の撤収と地表の整理、ヘドロの撤去を行いました。

6/10(金)
蒲田20:00発、石巻専修大学25:30着。小雨の中天幕設営。
簡単な顔合わせの後、26:30就寝。

6/11(土)
6:00起床。雨の中天幕撤収の後、朝食。7:00出発。
車内より、石巻市街地視察。一見復興が進む町並みも、海に近づくにつれ被害の爪痕が見られる。
未だ手付かずの倒壊家屋には危険表示がされ、ひしゃげた車が放置されている。
崩れた墓石にも増して、無事だった墓にも車打ち上げられ、痛々しい姿を晒していた。

8:00作業現場着、作業内容の説明を受ける。
小雨ではあったが、ハウス内なので気にならない。
むしろ、晴天下での気温を考えると恵まれた天気でのスタートとなった。

まずは被害作物の回収。考えてみれば、全面に植えられた苗には収穫されるはずだった実りがむざむざと廃棄されていく様は見るに耐えないものである。
手間と時間をかけた1シーズンの成果が得られないということが、農家にとってどれだけ深刻であるかは想像に難くない。
むしろ、片付ける暇に何か別の収入を求めるのが普通であるだろう。

蔓延る雑草も共に取り去り、いよいよ本題の表土の浄化にかかる。
津波により打ち寄せられた塩分とともに、表層に溜まった硫化水素をとり除く。
この硫化水素は、化学変化により硫酸に姿を変え、農地は強酸性の不毛の土地と化す。
ヘドロの撤去のもう一つの意味に、知られざる被害の深刻さを感じた。

A            刈り終わった枯れ草と硬くなった表土。心持ち、白く変色している。

表層は、塩分なのか化学変化の影響なのか、硬くなっていた。
硬い層をはつって取り去ると、白く変色した薄い層が現れる。その下が、本来の赤土である。

汚染した表土を取り去り、農地としての復興を果たすのが今回の目的。
土を削っては運び出す、なかなか身に堪える作業が延々と続く。

14:46 一分間の黙祷
― 被災三ヶ月目にあたる今日、それぞれの想い ―

15:00初日の作業終了。道の駅の立寄り湯で汗を流し、一路女川へ。
激甚災害の実態を視察。

B

道の整備以外は復興の兆しはまるで無い。 
人の気配も勿論無い。あまりにも無残な光景に、息をのむばかり。

あたりには霧状の靄がかかり、視界も良くない。

水産加工業の一大基地であった面影が、皮肉にも、瓦礫の中の処理の進まない魚の醗酵に伴う腐臭とガスに象徴されるようになった。

C_3 

海鳥だけが、空に群れ飛ぶ異様な光景。

D_2                      ひしゃげた車も津波のすさまじさを髣髴とさせる

この被害を目の当たりにし、今後ここに住むということができるのか疑問である。
少なくとも一年ぐらいは、人の営みが戻ろうとは思えない。

E                     RC造の建物が横転している。右のほうには杭がぶら下がっている。

報道にさえ見捨てられた被害の大きさを、改めて身に刻む出来事だった。

一路宿へ。地元の公民館にて夕食。

今回のボランティアに参加された京都労山(勤労者山の会)、世話役である宮城労山の方と共に
懇親の場が設けられました。

実際に被災された方の体験談や復興の状況を聞き、改めて被害の深刻さを感じました。

震災当日の津波を捉えた、短編のドキュメンタリー映画も上映され、次の世への警鐘として語り継ぎ、対策を立てることの重要さに気付かされました。

自身大国日本にあり、海岸線を背にする首都東京。
重要な中枢機関の多くが0メートル地域にあるこの街で、他山の石として見られるであろうか。

都市機能が麻痺するときに起こるリスクについて、どれだけの想定がなされているのか。

中越沖・阪神に次ぐ東北での教訓を活かすことこそ、罹災を免れた者の務めではないでしょうか。

夜も更け、眠りに付く方もあり、ささやかな宴もお開きに。
22:00 明日の早起きに向け、就寝。疲れた四肢に、シュラフが心地よい。

~次回に続く~

応援よろしくお願いします

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伊勢神宮・宮域林見学 ―大人の修学旅行―

先日、週末を利用して旅をしてきました。

最近は遠出をしていなかったので、どこか旅情に憧れていたこの頃。

出立の期待感、車窓の景色・・・旅の中でしか味わえない醍醐味。

久々の旅路は伊勢へ。

神宮の森を訪ねて来ました。

同期のインストラクター仲間のご縁で、神宮に関係する方のご案内を受けることができるなかなか無い機会をいただくことができました。

旅程は一泊二日、初日は伊勢神宮への参拝です。

まずは外宮からお参りです。

御祭神は豊受大神、内宮に祀られる天照大神の御饌(ミケ=食事)を司る神様です。

手水を済ませて、本殿・土之宮・風之宮・荒御霊と説明を受けながら参拝をしました。

生憎の小雨も、なんだか神々しさを増すのに一役買っているようでした。

おかげ横中で手捏ね寿司をいただき、午後からは本宮をお参りです。

平成21年に架け替えられたばかりの宇治橋がしっとりと濡れ、ヒノキのよい香りを漂わせていました。

古くは参詣前に、畔で禊をしたと伝えられる五十鈴川を渡り、いよいよ神域へ足を踏み入れます。

いつ行っても、常に緑をたたえる生命の象徴「飾り榊」が出迎えてくれます。

境内には幾つも杉の巨木が見られ、鎮守の森に似つかわしい厳かさを添えています。

よく見ると頭打ちになっているものも見受けられますが、落枝による事故を防ぐ為です。

実際に、他社では訴訟になった例もあるようで、管理の難しさを感じさせられます。

ガイドにも危機管理が求められる時代、何だか他人事には思えませんでした。

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなしに 涙こぼるる」   西行法師

訪れるたびに感動を覚える伊勢神宮。天照大神の威光。

高校生諸君、くれぐれも「テンテルダイジン」とは読んでくれるな (タクシー乗務員談)

閑話休題

今、伊勢神宮では20年に一度の式年遷宮が始まっています。

平成25年の遷御へ向け、8年に渡り儀式が執り行われます。

数百年の時を経てなお、途絶えることなく伝えられてきた技や伝統に支えられた文化。

その継承のためにも、この20年という周期が必要なのです。

お伊勢さんの周りでは、農漁業をはじめとし、直営の産業が神宮を支えています。

基本的には、自給自足の体制ができているそうです。

地域に結びついた伊勢のもう一つの側面を知ることができました。

二日目、いよいよ伊勢の森に入ります。

正しくは、神宮宮域林。

古くは約2000年前、第11代垂仁天皇の御世に神域として定められ、天武天皇の代より式年遷宮制度が確立して以来、御造営用材を伐り出す「御杣山」として守られてきました。

材の欠乏により御杣山も移り、また江戸時代には伊勢参りの流行によって薪炭用材の乱伐が引き起こされて山が荒れた時期もあったそうです。

幾つかの時代の変遷を経て、今では神宮司庁営林部により管理されています。

宮域の中で神域と宮域林に別れ、さらに宮域林は第一と第二に別れています。

神域・第一宮域林ともに風致・水源涵養を目的としており、樹木の生育上必要な場合を除いて生木の伐採を禁じています。

今回見学した第二宮域林は、水源涵養・風致と共に、用材の造営を目的とした施業が行われています。

ヒノキを中心とした森に踏み入ると、程なく胸高にラインを引かれた育林木が目に付きます。

ラインが一本のものは大樹候補木。御用材として大径木に育てられます。

これに次ぐ期待できるものを御用材候補木として、二本のラインを引いているそうです。

haあたり4000本を植樹、間伐をしながら2030年で選木します。

間伐は大径候補木の肥大成長を目的とし、陰になるものを間引く受光伐を行っています。

haあたり大径候補木5070本を目標に選木・育成しているそうです。

当然、間伐により他の広葉樹も入ってきますが、対象木の邪魔にならない範囲で有用なものは育成しているのが、林内の様子からも見られました。

将来的には針広混交林に誘導することで、生態的にもバランスの取れた長伐期施業を目指す方針が受け継がれていました。

用材の森であると同時に、五十鈴川の源流域にもあたる宮域林。

豊かな土壌による水源涵養能は、こういった施業に支えられて、結果として下流の神宮を守ることにつながるのです。

応援よろしくお願いします

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